東京を離れる理由は沢山あった。
正確には理由が出来た。
自ら選んだ道を一人で歩くことにした。
半年後にはアリゾナ州のファインアーツの学校に行く手配をしていた矢先、大阪の母が病気になり急遽帰阪。
1ヶ月後には元気な母に戻った。
しかし、仕事の道具箱と旅支度を整えた私の居場所は大阪にはなかった。
沖縄旅行で出会った国吉氏がハワイで作陶していた事を思い出しアドバイスを貰うために連絡をした。
「渡米する前に遊びにくれば?僕は只今病気で仕事をしていないので自由に使っていいよ」
この言葉に救われた。
粘土に触れられるのであればどこでも良かった。
2ヶ月間の予定で沖縄に飛んだ。
空き家を見つけるまでは同級生の実家にお世話になりながら
毎日自転車で工房に通う日々。
当時の沖縄では、ヤマトンチュ、女性、ヤチムン(焼物)の三拍子は珍しい存在であったので
多くの村民の方々との交流が広がり、旅行では得られなかった沖縄を感じた。

国吉さんの工房の一棟をお借りしての作陶三昧の日々を送る。









轆轤場に住むハブから私を守ってくれていた相棒

ゴヤで有名なお店での息抜きも〜

滞在予定の2ヶ月が過ぎたある日、決断の時を迎える。